確率とは?では「ミクロな世界の現象はマクロな世界に当てはめる事ができる」事の一例として「確率とは粒であり波である」とお話し致しました。
では、ミクロな世界における確率。
量子の世界における確率、その本質について、お話ししていきます。
さて、この世の全ては粒であり波である、というお話をしましたが。
量子の世界では、観測されると「粒」になり、観測されるまでは「波」として振る舞うという、摩訶不思議な現象が起こります。
そして、どの場所に「粒」として存在しているのかというのが、観測してみるまでわからないのです。
観測してみて、初めて「ここに居た」というのが確定します。
そして「ここに居た」というのを何回も繰り返す事によって。
「確率」的に、量子の居場所を特定する事ができます。
つまり、観測してみるまで「この辺によくいるな。この辺にいるんじゃないかな?」という予想しかできないのです。
不思議ですよね。
ですが、これは科学的に証明されている事実です。
世界がそういう風にできている以上。
我々は、その事実を受け入れなければなりません。
…ここで重要なのは。
「この辺によくいるな」という、確率に偏りが生じている事です。
分かりやすく数字に例えると。
「1~6のどこかにいるけど、特に1~2によくいるな」
という感じです。
そして、この確率の偏り、割合こそが。
「物質」の正体であり。
「論理」の正体だと思っています。
…量子とは、ものすごく小さな存在です。
地球とピンポン玉の直径比をイメージすると、分かりやすいかと思います。
地球:ピンポン玉 の直径比は。
およそ ピンポン玉:水素原子 の直径比になります。
…4億程度の違いという、途方もない違いです。
正直、これでもイメージが難しいぐらい…とてつもなく小さな物質です。
そして、その小さな物質の集まりでこの世界ができています。
…サイコロを例に挙げます。
サイコロには1~6の目があり、どの目が出るかは1/6という確率です。
6回投げます。
均等に1~6が1回ずつ出るかと言うと。
ほとんどの場合、偏りが生じます。
これは、言うなれば「不安定な世界」ですね。
ですが、これを60回、600回、6000回と試行回数を増やせば増やすほど…
1/6に収束していきます。
つまり「安定した世界」に近づいていきます。
そしてこの「確率」「収束」は、量子の世界にも置き換える事が可能です。
ただし、量子とサイコロが違うのは、確率が偏っている、ということと。
試行した回数の合計が一つの結果(可視化できるぐらいのサイズ)になる、ということです。
例えば「1~6の範囲があって、1と2にいる確率は30%ずつ、3、4、5、6にいる確率は10%ずつ」だとします。
そして、我々が目にする物質は、この「確率」の集合です。
仮に、1億の量子が集まって一つの「可視化できる物質」ができていたとすると。
1の結果が出た量子が3000万個、2の結果が出た量子が3000万個、3の結果が出た量子が1000万個、4の結果が出た量子が1000万個、5の結果が出た量子が1000万個、6の結果が出た量子が1000万個。
この割合。
この「1が30%、2が30%、3が10%、4が10%、5が10%、6が10%」という割合、その集合こそが「可視化できる物質」の正体です。
そして、この割合の誤差、確率の誤差が少ないほど、揺るぎのない一つの「可視化できる物質」として、我々の目に映るのです。
先ほど「1の結果が出た量子が3000万個~」と話しましたように。
量子が「可視化できる物質」になるまでの試行回数は、とてつもなく膨大です。
故に「確率」は「確率」という曖昧なものでは無くなっていくのです。
可視化できる状態になる頃には。
限りなく、この「1が30%、2が30%、3が10%、4が10%、5が10%、6が10%」という割合に近くなっています。
…逆に言います。
「100%そうなる」という確率が存在していない以上。
「限りなく100%に近い確率でその物質の状態を維持しているが、本質的に100%の物質は存在しない」
という事になるのです。
そして、この世界が物質でできている以上。
「この世の本質は確率である」
という事になるのです。
…さて。
前置きが長くなりましたが。
ここからが、本題です。
まず初めに、私の神の定義は「この世界を創造し、観測しているもの」のことであり、全知全能ではありません。
その前提で、話を進めていきます。
さて、この世界を創ったのが「神」と呼ばれる存在だとして。
「神」はなぜ、このような「確率的な」世界を創ったのでしょうか?
単純に考えますと、壁を一つの物質にしてしまえば。
簡単に「100%通り抜ける事ができない壁」が出来上がるのではないでしょうか?
こんな小さな小さな粒から、わざわざ世界を創る必要が、一体全体どこにあるのでしょうか?
考えてみます。
仮に、そのような世界が存在したとします。
壁は100%通り抜ける事ができません。
その他の物質も、全てが100%で。
つまり、全ての結果が分かっていて、変わらないという事を意味します。
……?
「結果が分かっていて、変わらない世界」
それはつまり。
「未来が一つしかない世界」
ではないのか?
そして、結果が分かっていて、変わらなくて、未来が一つしかないのであれば。
そもそも「観測する意味」が。
無いのです。
…さて。
次回、究極の記事を発表します。
タイトルは。
「神の存在証明」
です。